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水野勝成(みずのかつなり)

戦国武将、備後福山藩初代藩主[日本]

(慶安4年3月15日没)

1651年 5月4日 死去享年88歳

水野勝成 - ウィキペディアより引用
水野 勝成(みずの かつなり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。
三河刈谷藩主、大和郡山藩主を経て備後福山藩の初代藩主となる。
少年期 勝成は幼名を国松といい、若名を藤十郎といった。
『寛政重修諸家譜』では母は都築吉豊の娘としているが、水野家の文献では本願寺光佐の妹となっている。
永禄7年(1564年)に三河国刈谷の生まれたとされるが、父・水野忠重は勝成誕生の永禄7年には三河国岡崎に住んでおり、記録と矛盾している。
忠重が鷲塚城主をしていた時代の子供であるから、鷲塚生まれとも考えられる。
高天神城の戦い 初陣は天正7年(1579年)の遠江高天神城攻めで忠重に従って出陣するが、このときは武田勝頼の撤退により戦にはならなかった。
同年、徳川秀忠が誕生すると、勝成は乳兄弟とされた。
天正8年(1580年)、父の忠重が織田信長に引き抜かれ、刈谷の大名 になる。
勝成は奥田城、細目城を任される。
同年の第2次高天神城の戦いに忠重と共に参加し城を攻めた。
しかし、戦いは翌年(天正9年)まで続き最後は城から城兵全員が討って出て大激戦になったといわれる。