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井上ひさし 氏(いのうえひさし)

作家作家[日本]

2010年 4月9日 死去肺がん享年77歳

井上 ひさし(いのうえ ひさし、1934年11月17日 - 2010年4月9日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家である。
文化功労者、日本藝術院会員。
本名は井上 廈(いのうえ ひさし)。
1961年から1986年までの本名は内山 廈(うちやま ひさし)。
遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもあった。
日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任した。
晩年は自身の蔵書を収蔵した遅筆堂文庫を造り、運営した。
(後述) 先妻は西舘代志子。
後妻のユリは元衆議院議員米原昶の娘。
長女は元こまつ座主宰の井上都。
三女は株式会社こまつ座社長の石川麻矢。
幼少時代 1934年(昭和9年)11月17日、井上靖と競った文学青年の井上修吉を父とし、井上マスを母として山形県東置賜郡小松町中小松(現・川西町)に生まれる。
修吉は実家が薬屋だったため薬剤師を目指す一方、農地解放運動に関わり、地方劇団「小松座」を主宰したほか、1935年には小松滋の筆名で書いた小説「H丸傳奇」が「サンデー毎日」第17回大衆文芸新人賞に入賞している。

小説家、劇作家。 本名、内山廈。1934年11月16日、山形県川西町(旧小松町中小松)で生まれる。父の早世、母が持ち逃げに遭うなど苦しい生活の中、仙台のカトリック系孤児院に入る。1950年、受洗(洗礼名は「マリア=ヨゼフ」)。奨学金を得て上智大学文学部フランス語学科卒業。在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」で戯曲台本や進行などのアルバイトをする。大学卒業後、放送作家となり、山元護久ととともにNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」(1964〜1969年)の台本を担当し、またてんぷくトリオや劇団テアトル・エコーに台本を提供する。1972年小説「手鎖心中」で第67回直木賞を受賞。1984年に劇団「こまつ座」を結成し、座付作者になる。 ことば・文章、国語問題、宮澤賢治研究、農業問題などに造詣が深い。名文家、言葉遊びの達人として知られ、作風はユーモアとウィットに富む。しばしば締切に遅れるので「遅筆堂主人」を自称。膨大な蔵書の一部を故郷川西町に開設した「遅筆堂文庫」に寄贈している。元妻:好子氏(現・西舘代志子さん)に猛烈な家庭内暴力(DV)をふるったとされ、離婚に至った*1。 直木賞選考委員(1982〜2009)、日本劇作家協会会長(1993〜98)、日本ペンクラブ会長(2003〜07)、仙台市文学館館長(1998〜2007)、吉野作造記念館名誉館長、生活者大学校校長、川西町フレンドリープラザ付属演劇学校校長。 2010年4月9日、肺がんにより75歳で死去。 (引用元 Hatena Keyword)