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日下部鳴鶴(くさかべめいかく)

書家[日本]

1922年 1月27日 死去肺炎享年85歳

日下部鳴鶴 - ウィキペディアより引用
日下部 鳴鶴(くさかべ めいかく、天保9年8月18日 (旧暦) 8月18日(1838年10月6日) - 大正11年(1922年)1月27日)は日本の書家 書道家である。
本名は東作。
字は子暘。
別号に東嶼、翠雨、野鶴、老鶴、鶴叟などがある。

中林梧竹、巌谷一六と共に三筆#明治の三筆 明治の三筆と呼ばれる近代書道の確立者の一人である。

中国、特に六朝書の影響を受けた力強い筆跡が特徴であり、それまでの日本の書流#和様 和様から日本の書流#唐様 唐様に日本の書法の基準を作り変えた。
加えて数多くの弟子を育成、現在でも彼の流派を受け継ぐ書道家は極めて多い。
芸術家としても教育者としても多大な功績をあげたことを称えて「日本近代書道の父」と評されることもある。

鳴鶴の流派は鶴門と呼ばれ、その門下生は3000人を数えたと言われる。
また揮毫した碑は1000基とも言われ、全国に数多く見られる。
中でも日本の書道史#大久保公神道碑 大久保公神道碑は鳴鶴の最高傑作といわれる。