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山根俊英 氏

プロ野球選手、コーチ[日本]

2009年 4月5日 死去肺がん享年81歳

山根 俊英(やまね としひで、1928年3月1日 - 2009年3月5日)は、鳥取県米子市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
来歴・人物 鳥取一中最後のプロ入り選手。
鳥取農専時代は大分経専の荒巻淳と並ぶ快速球で知られ、1946年の「全国専門学校野球大会」で準優勝を果たす。
その後は鐘淵化学工業を経て、1950年に荒巻と同じく毎日オリオンズへ入団し、2年目の1951年に一軍初出場。
アンダースロー投手として活躍し、1952年には不振の荒巻をカバーすべく先発・抑えと奮闘。
自己最高の12勝をあげた。
1958年に現役引退。
引退後はラジオ関東・フジテレビ・ニッポン放送・文化放送の解説者(1959年 - 1967年)を経て、サンケイ・アトムズ(1968年 - 1969年一軍投手コーチ)、東映・日拓・日本ハム(1972年 - 1974年一軍投手コーチ)、ロッテ(1977年一軍投手コーチ)、大洋(1978年 - 1981年一軍投手コーチ, 1982年 - 1984年二軍監督, 1988年 - 1989年二軍チーフコーチ)、兄弟(1992年投手コーチ, 1993年 - 1995年監督)、高屏生活雷公(1997年 - 1999年監督)で監督・コーチを歴任。

プロ野球、毎日オリオンズ・毎日大映オリオンズの選手。 右投右打、ポジションは投手。背番号は41→14番。 1928年3月1日生まれ。鳥取県出身。 鳥取高専から鐘淵化学を経て1951年、毎日オリオンズに入団。 1953年、一軍に定着し先発投手としてオリオンズ投手陣を支えた。 1958年、現役引退。 1973年、ヤクルトスワローズのコーチに就任。 1977年、大洋ホエールズのコーチに就任。 1981年、土井淳の休養を受け、横浜大洋ホエールズの代理監督に就任。シーズン終了まで務めた。 その後はコーチに戻り、1984年、フロント入り。 (引用元 Hatena Keyword)