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細川勝元(ほそかわかつもと)

守護大名、室町幕府管領[日本]

(応仁の乱の東軍総大将、文明5年5月11日没)

(ユリウス暦) 1473年 6月6日 死去享年44歳

細川勝元 - ウィキペディアより引用

細川 勝元(ほそかわ かつもと)は、室町時代の武将・守護大名。
第16、18、21代室町幕府管領。
土佐・讃岐・丹波・摂津・伊予守護。
第11代細川京兆家当主。
細川持之の子、政元の父。
応仁の乱の東軍総大将として知られている。
生涯 家督・管領相続 永享2年(1430年)、細川持之の嫡男として生まれる。
幼名は聡明丸。
嘉吉2年(1442年)8月、父が死去したため、13歳で家督を継承した。
この時に7代将軍足利義勝から偏諱を受けて勝元と名乗り、叔父の細川持賢に後見されて摂津・丹波・讃岐・土佐の守護となった。
文安2年(1445年)、畠山持国(徳本)に代わって16歳で管領に就任すると、以後3度に渡って通算23年間も管領職を歴任し、幕政に影響力を及ぼし続けた。
勝元が管領に就任していたのは、文安2年から宝徳元年(1449年)、享徳元年(1452年)から寛正5年(1464年)、応仁2年(1468年)7月から死去する文明5年(1473年)5月までである。

室町前期の武将。幼名は聡明丸、通称六郎、右京大夫。幕府管領を通算21年務める。謀略に長け、初め山名持豊(宗全)と結ぶがやがて山名氏の強大化を抑えんとして対立する。将軍家・畠山・斯波の継嗣を争った応仁の乱では東軍総帥として戦った。平素禅に励み、竜安寺を創建。また和歌・書画・犬追物などを好み、医学を研究するなど多趣味であった。文明5年(1473)歿、44才。 (引用元 コトバンク)