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本庄繁長(ほんじょうしげなが)

戦国武将[日本]

(慶長18年12月20日没)

1614年 1月29日 死去享年75歳

本庄繁長 - ウィキペディアより引用

本庄 繁長(ほんじょう しげなが)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。
上杉氏の重臣。
生涯 天文8年(1540年)、越後国の国人・本庄房長の子として誕生。
幼名は千代猪丸。
繁長が生まれる直前、父・房長は同族の色部氏と共に、越後守護・上杉定実が伊達稙宗の子・時宗丸を養子に迎えることに異を唱え、入嗣推進派の中条藤資らと対立した。
伊達氏の支援を受けた中条軍に攻められた房長は、弟・小川長資と同族・鮎川清長の勧めにより、本庄氏と盟友関係にある出羽国庄内地方の武藤氏のもとに逃れた。
しかしこれは長資の罠であり、その隙に長資によって居城を奪われてしまう。
弟の謀反に衝撃を受けた房長は病に倒れそのまま死去した。
房長を失った本庄氏の家臣団は遺児・千代猪丸を当主に立てたものの、長資をその後見人として認めざるを得ず、本庄氏の実権は長資の手に落ちた。
ところが「幼少より気性剛強で勇猛」と評される成長ぶりを見せていた千代猪丸は、天文20年(1551年)に父の13回忌の会場で後見人として参加した長資を捕えて自害に追い込み、本庄氏の実権を取り戻した。

ほんじょう-しげなが 1539-1614*戦国-江戸時代前期の武将。天文(てんぶん)8年生まれ。本庄房長の長男。越後(えちご)(新潟県)本庄領主。上杉謙信の死後,上杉景勝(かげかつ)とむすび,出羽(でわ)庄内3郡を平定。天正(てんしょう)19年出羽仙北一揆(いっき)を扇動したとして豊臣秀吉に蟄居(ちっきょ)させられた。朝鮮出兵を機にゆるされ,景勝の会津(あいづ)移封で守山城代,ついで福島城代となった。慶長18年12月死去。75歳。通称は弥次郎。号は雨順斎全長。【格言など】戦国の世なれば裏切りの手段は敵味方ともにある (引用元 コトバンク)