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石原莞爾(いしわらかんじ)

陸軍軍人、軍事思想家[日本]

1949年 8月15日 死去享年61歳

石原莞爾 - ウィキペディアより引用

石原 莞爾(いしわら かんじ、明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)- 昭和24年(1949年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。
最終階級は陸軍中将。
栄典は従四位・勲三等・功三級、「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。
「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織内では変わり者だった。
関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、後に東條英機との対立から予備役に追いやられ、病気のため戦犯指定を免れた。
生涯 幼少年時代 明治22年(1889年)1月18日に山形県西田川郡鶴岡(現・鶴岡市)で旧庄内藩士、飯能警察署長の石原啓介とカネイの三男として生まれる。
但し戸籍上は1月17日となっている。
啓介とカネイは六男四女を儲け、莞爾は三男であるが長男の泉が生後二ヶ月で、二男の孫次が二週間で亡くなり、莞爾が事実上の長男である。
四男の次郎は海軍中佐となるが1940年6月に航空機事故で殉職する。
五男の三郎は一歳で亡くなり、六男の六郎は戦後莞爾と共に行動して昭和51年(1976年)まで西山農場で暮らす。

いしはらかんじ [生]1889.1.18.山形,鶴岡[没]1949.8.15.山形,高瀬陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変と満州国建設を指揮したことで知られる。1909年陸軍士官学校,18年陸軍大学校卒業。ドイツ駐在。陸軍大学校教官などを歴任後,28年中佐,関東軍参謀。その後,ジュネーブ軍縮会議随員,参謀本部作戦課長などを経て,日中戦争勃発時(1937)の参謀本部作戦部長,次いで関東軍参謀副長。対ソ戦準備のため,戦線拡大に反対した。39年東亜同盟発足に伴いその指導者となる。41年東条英機陸相に批判的であったため,現役を追われ,中将で予備役。41~42年立命館大学教授。主著『世界最終戦論』(40)。 (引用元 コトバンク)