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植木枝盛(うえきえもり)

政治家、思想家[日本]

1892年 1月23日 死去享年36歳

植木枝盛 - ウィキペディアより引用

植木 枝盛(うえき えもり、安政4年1月20日(1857年2月14日) - 明治25年(1892年)1月23日)は、日本の思想家、政治家。
自由民権運動の理論的指導者。
雅号は六花。
生い立ち〜青年時代 土佐藩士・植木直枝(小姓組格、4人扶持24石)の嫡男として、土佐国土佐郡井口村(高知県高知市中須賀町)に生まれる。
8歳から習字を学ぶ。
藩校致道館に学び、明治6年(1873年)には土佐藩海南私塾の生徒として抜擢されるが、9月に退学し帰郷する。
明治六年政変(征韓論政変)に触発されて上京を決意し、傍らキリスト教関係書物『天道溯原』を読む。
明治8年(1875年)、19歳で上京し慶應義塾内や三田演説館の「三田演説会」に頻繁に通い、明六社に参加し、福澤諭吉に師事して学ぶ。
自ら修文会を組織して奥宮荘子会(奥宮慥斎)にも参加する。
明治8年(1875年)から『郵便報知新聞』『朝野新聞』『東京日日新聞』などに投書を始め、明治9年(1876年)3月、『猿人君主』(郵便報知)が掲載され、讒謗律による筆禍事件で2ヶ月入獄する。

うえきえもり [生]安政4(1857).1.20.土佐[没]1892.1.23.東京自由民権運動の指導者。土佐藩士植木直枝の子。板垣退助や明六社の影響を受け自由民権運動に加わる。1876年『猿人政府』が新聞紙条例違反に問われ禁獄。77年立志社に参加し,のち再興愛国社,国会期成同盟,自由党などの運動に板垣の片腕となって活躍する。一方民権派ジャーナリストとして『民権自由論』(1879)などの出版により民衆啓蒙を行う。のち急進的自由民権運動から離れ,婦人解放運動に尽力し,90年第1回衆議院議員当選。彼の思想の特徴は,天賦人権論,主権在民,抵抗権などにあった。その他の著書に『天賦人権弁』『開明新論』『言論自由論』『一局議院論』など。 (引用元 コトバンク)