芸能人・経営者のおくやみ情報

島津忠義(しまづただよし)

薩摩藩主政治家、公爵[日本]

1897年 12月26日 死去享年58歳

島津忠義 - ウィキペディアより引用

島津 忠義(しまづ ただよし)は、幕末から明治時代の大名、華族。
薩摩藩の第12代(最後)の藩主で、島津氏第29代当主。
官位は従一位参議。
勲等は勲一等、公爵。
幼名は壮之助。
通称は又次郎。
元服後の初名は忠徳(ただのり)だったが、藩主在任中は茂久(もちひさ)を名乗る。
なお、忠義は維新後の慶応4年(1868年)1月16日に改名した諱である。
生涯 島津氏分家の重富家当主・島津忠教の長男として生まれる。
伯父・斉彬の養嗣子となり、安政5年(1858年)の斉彬没後、その遺言により跡を継ぐこととなった。
遺言では斉彬の子・哲丸が幼少のために仮養子という形だったが、ほどなくして哲丸は死去した。
しかし、藩政の実権は当初祖父の斉興、次いで後見人となった父・久光(忠教)や西郷隆盛、大久保利通らに掌握され、忠徳自身は若年ということもあり、主体性を発揮することはなかった(ただし、忠徳が実権を取り戻そうとしなかったことが薩摩藩が一致して倒幕運動を行うのに寄与した面もある)。

しまづただよし [生]天保11(1840).4.鹿児島[没]1897.12.26.東京江戸時代末期,最後の薩摩藩主。島津久光の長子。茂久と改名した時期もある。斉彬死去ののち遺書により安政5(1858)年,島津家29代の藩主となる。父久光を国父と尊称してその輔佐により幕末の藩政を指導。公武合体政策をとっていたが,薩英戦争ののち,西郷吉之助(隆盛)ら藩内尊王派の意見に従って尊王討幕,親英政策をとった。王政復古に際しては議定に任じられ,海陸軍総督となった。明治2(69)年1月版籍奉還の上表に署名,6月藩知事。同4年7月廃藩置県とともに辞任。1884年公爵。勲一等。国会開設に伴い貴族院議員に任じられた。 (引用元 コトバンク)