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桂久武(かつらひさたけ)

薩摩藩士[日本]

(西南戦争に参加し城山で流れ弾に当たり戦死)

1877年 9月24日 死去戦死享年48歳

桂久武 - ウィキペディアより引用

桂 久武(かつら ひさたけ、天保元年5月28日(1830年7月4日) - 明治10年(1877年)9月24日)は日本の武士(薩摩藩士)、政治家。
父は島津氏分家・日置島津家当主の島津久風、母は同じ島津氏分家である末川家の娘。
長兄は、第29代藩主・島津忠義の主席家老島津久徴(下総、左衛門)、次兄は、お由羅騒動で犠牲となった赤山靭負。
安政2年(1855年)に同じ島津氏分家である一所持桂家の薩摩藩士・桂久徴の養子となる。
その後、造士館演武係方など要職を務めるが、兄島津久徴が島津斉彬派家老であったために罷免され、それに伴い斉彬の死の直後の文久元年(1861年)には大島守衛方・銅鉱山方に左遷される。
このころに流刑中であった西郷隆盛と親交を結ぶ。
元治元年(1864年)、大目付となり小松帯刀らと共に藩論の統一に貢献、慶応元年(1865年)には家老に昇格、上洛して木戸孝允を厚遇し、薩長同盟の提携に尽力する。
以来西郷から厚い信頼を寄せられ、武力討幕論を支持。
明治新政府では明治3年(1870年)、西郷とともに鹿児島藩権大参事となり藩政トップを勤め、明治4年(1871年)には都城県参事、豊岡県権参事を歴任し、同6年病豊岡県権令の辞令を受けたが、病を理由に断り、帰郷する。

日本の江戸時代末期の薩摩藩士。明治時代の政治家。島津久風の五男。桂久徴の養子。 西南戦争で西郷隆盛が挙兵すると西郷側に参軍し戦死した。 (引用元 Hatena Keyword)