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細川政元(ほそかわまさもと)

守護大名[日本]

(10代将軍足利義材を追放、永正4年6月23日没)

(ユリウス暦) 1507年 8月1日 死去暗殺享年42歳

細川政元 - ウィキペディアより引用
細川 政元(ほそかわ まさもと)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名。
第24、26、27、28代室町幕府管領。
丹波・摂津・土佐守護。
第12代細川京兆家当主。
室町幕府の棟梁たる足利将軍家の在職将軍(10代将軍足利義稙)を廃職させ管領という立場を利用し幕府の政治権力を掌握。
事実上の最高権力者となり、「半将軍」とも呼ばれた。
室町幕府の三管領(斯波、畠山、細川)である細川氏本家・京兆家の生まれ。
父は応仁の乱時に東軍を率いた細川勝元で、母は不明。
勝元の正室・山名熙貴の娘(養父は山名宗全)を母とする説もあるが、根拠となる史料は無い。
修験道に没頭して独身を貫いたため実子はおらず、政元をもって細川家の嫡流は途絶え、養子に澄之、澄元、高国がいる。
将軍を挿げ替え(明応の政変)、管領として幕政を牛耳り、細川京兆家の全盛期を築いて最大勢力に広げたが、3人の養子を迎えたことで家督争いが起こり、自らもその争いに巻き込まれて家臣に暗殺された(永正の錯乱)。