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河本敏夫 氏

政治家実業家、元三光汽船オーナー[日本]

2001年 5月24日 死去心不全享年89歳

河本敏夫 - ウィキペディアより引用

河本 敏夫(こうもと としお、明治44年(1911年)6月22日 - 平成13年(2001年)5月24日)は、日本の政治家、実業家。
衆議院議員(17期)、通商産業大臣(第36・38代)、郵政大臣(第28代)、経済企画庁長官(第32・34代)、沖縄開発庁長官(第15代)、特命事項担当国務大臣、自由民主党政務調査会長を歴任。
正三位勲一等旭日大綬章。
相生市名誉市民。
来歴・人物 1911年6月22日、兵庫県赤穂郡相生村(現・相生市)生まれ。
旧制龍野中学(現・兵庫県立龍野高等学校)から旧制姫路高校(神戸大学の教養及び文理学部の前身校)にトップの成績で入学。
マルクス主義の影響を受けて反戦運動に参加し、1930年に退学を余儀なくされた。
炭坑夫や職工などを経て日本大学法文学部に入学。
在学中に義兄らと三光汽船(当時、三光海運)を設立、卒業後の1937年から社長となる。
1949年の第24回衆議院議員総選挙で旧兵庫4区から初当選(当選同期に池田勇人・佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・小渕光平・麻生太賀吉・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・木村俊夫・藤枝泉介・稲葉修・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。

政治家 (1911年6月22日〜2001年5月24日) 兵庫県出身。三光汽船の社員だったが、1949年に衆院選に初当選。以来17期務める。 自民党では、三木武夫派に属し、同派の後継者として自民党総裁の座に近いと言われた。顔が無表情のため、ぞくに「ワラワン殿下」の異名まで取った。 1996年に高齢を理由に引退し、地盤を三男の三郎に譲った。2001年に死去。 (引用元 Hatena Keyword)