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後藤又兵衛(ごとうまたべえ)

戦国武将[日本]

(慶長20年5月6日没)

1615年 6月2日 死去討死享年56歳

後藤又兵衛 - ウィキペディアより引用

『後藤基次』より : 後藤 基次(ごとう もとつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。
黒田氏、豊臣氏の家臣。
通称は又兵衞で、後藤 又兵衛(ごとう またべえ)として広く知られる。
黒田如水、黒田長政、豊臣秀頼に仕え、数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」、また大坂の陣の講談や軍記物語などで英雄として描かれ、「大坂城五人衆」の一人に数えられた。
生涯 出生 諸説あるが、『大日本史』などによると、永禄3年(1560年)に播磨国姫路近郊の神東郡山田村に生まれる。
父は別所氏家臣で、後に小寺政職の下にいた後藤新左衛門(基国?・後藤氏当主・伯父説あり)の次男として生まれた。
天正6年(1578年)、黒田孝高が荒木村重によって有岡城に幽閉された際、黒田家家臣一同の誓紙への署名を又兵衛の伯父・藤岡九兵衛が拒否したため一族追放となり、仙石秀久に仕えることとなる。
黒田家臣期 当時の記録に基次の具体的な足跡が現れるようになるのは、天正14年(1586年)、九州征伐の宇留津城攻めの頃からである。

1560年〜1615年 戦国武将。黒田家臣。本名後藤基次。 最初は別所氏に仕えていたが、のち、黒田如水親子に仕えて勇猛で知られた。 黒田氏の筑前入封後、1万6千石を領し小隈城主となる。が、黒田長政とはそりが合わなかったため浪人となる。 各大名から誘いを受けたが、長政の妨害によって再士官を果たせなかったとされる。 その後、大坂の陣の際に豊臣氏の招きを受けて大坂に入城。夏の陣の際に道明寺河原の戦いで戦死している。 (引用元 Hatena Keyword)