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森鴎外(もりおうがい)

小説家、評論家翻訳家陸軍軍医[日本]

1922年 7月9日 死去肺結核享年61歳

森鴎外 - ウィキペディアより引用

森 鷗外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。
位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。
本名は森 林太郎(もり りんたろう)。
石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。
東京大学医学部卒業。
大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツで4年過ごした。
帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。
その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。
乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。
晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任した。

もり・おうがい(1862〜1922) 明治の文豪。本名・森林太郎。別号、観潮楼主人、千朶山房など。 軍医(陸軍軍医総監:階級としては中将に相当)、帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)、小説家、評論家、翻訳家。 なお森鴎外の「鷗」の旁は、正確には「区」ではなく「區」。 1862年2月17日石見国鹿足郡津和野町(現・島根県鹿足郡津和野町)生まれ。1922年7月9日没。享年60歳。 教科書では「なんか頭の大きそうな人」として知られる。 佐藤春夫は森鴎外の家が頭上に見える崖下の家に下宿していた際、鴎外の書室は明かりが消えることがなかったので「いったいあの人はいつ寝てるのだろうか」と疑問に思った。 多分勤務先(個室つき)のソファで寝てたのではなかろうか、と記述子は推測する。 (引用元 Hatena Keyword)