芸能人・経営者のおくやみ情報

フランキー堺 氏(ふらんきーさかい)

俳優、コメディアン、司会者[日本]

1996年 6月10日 死去肝不全享年68歳

フランキー堺 - ウィキペディアより引用

フランキー堺(フランキー さかい、1929年(昭和4年)2月13日 - 1996年(平成8年)6月10日)とは、鹿児島県鹿児島市出身のコメディアン、俳優、ジャズ奏者(ドラム)、司会者。
本名は堺 正俊。
来歴・人物 父親は鹿児島の士族の家系の出身。
また、明治・大正時代に活躍し、映画『ノンキナトウサン』の主役としても知られる曾我廼家五九郎は親戚にあたる。
鹿児島県師範学校附属小学校(鹿児島大学教育学部附属小学校)在学中、ボーイソプラノの歌い手として注目され、合唱団としてNHK鹿児島放送局のラジオ番組に出演。
一家で東京大田区池上へ引越し、池上第二小学校、私立麻布中学校を経て慶應義塾大学法学部卒業。
中学時代の同級に、小沢昭一、加藤武がいた。
1946年8月のバレエ「白鳥の湖」日本初演(第一次東京バレエ団)では男性ダンサーが足りず、立ち役は早稲田、慶應、上智の各大学の演劇部の学生が演じ、慶応大学法学部の学生だったフランキー堺も出演している。

【フランキーさかい】 俳優。本名堺正俊。鹿児島市生れ。慶応大学在学中からジャズ・ドラマーとして活躍。1953年《青春ジャズ娘》でデビュー。スラップスティック・コメディ《牛乳屋フランキー》(1956年)などで注目され,川島雄三監督の《幕末太陽伝》(1957年)をはじめ,《貸間あり》(1959年),《グラマ島の誘惑》(1959年)などに出演,川島喜劇に欠かせない俳優となる。また戦犯の罪に問われて処刑される一庶民を演じたテレビ・ドラマ《私は貝になりたい》(1959年)で性格俳優としての地位を築いた。1960年代には,森繁久弥とともに〈喜劇・駅前〉シリーズなどで活躍。ほかに自ら企画も手がけた篠田正浩監督の《写楽》(1994年)などがある。→関連項目谷啓 (引用元 コトバンク)