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北条氏直(ほうじょううじなお)

戦国大名[日本]

(天正19年11月4日没)

1591年 12月19日 死去享年30歳

北条氏直 - ウィキペディアより引用

北条 氏直(ほうじょう うじなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
相模国の戦国大名で小田原城主。
後北条氏の第5代当主である。
父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院。
父と共に後北条氏の最大版図を築き上げたが、外交の失敗で豊臣秀吉による小田原征伐を招き、後北条氏の関東支配は終焉を迎えた。
生涯 家督相続 後北条氏は氏直の祖父・北条氏康の時代に甲斐の武田氏・駿河の今川氏と甲相駿三国同盟を締結していたが、父の氏政はその一角である甲相同盟において武田信玄の娘・黄梅院を正室としており、氏直は永禄5年(1562年)に氏政の次男として小田原城で生まれる(兄の新九郎は早世)。
幼名は国王丸。
仮名は新九郎。
武田義信・武田勝頼の外甥にあたる(義信は母黄梅院の兄で、勝頼はその弟にあたる)。
永禄11年(1568年)末には武田・今川間の関係悪化により武田氏の駿河今川領国への侵攻が行われ(駿河侵攻)、氏直は没落した今川当主・今川氏真(叔母の早川殿は氏真の正室だった)の猶子として家督を相続し、将来の駿河領有権を得たという(但し、駿河は武田領国化されたため現実のものとはならなかった)。

武将・小田原城主。幼名は国王丸、通称は新九郎。氏政の長男、母は武田信玄の娘黄梅院。従五位下左京大夫。本能寺の変直後滝川一益の関東からの駆遂・家康との和睦等を経て北条氏最大の領地を形成する。天下統一を目指す豊臣秀吉の上洛催促に対する叔父氏規派遣・上野国名胡桃城奪取の罪で小田原城攻めを招き高野山に追放される。のち赦免。天正19年(1591)歿、30才。 (引用元 コトバンク)