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フリードリヒ2世Friedrich II

プロイセン国王[ドイツ]

1786年 8月17日 死去享年75歳

フリードリヒ2世(Friedrich II.)は、ドイツ語圏の君主の名前。
フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) フリードリヒ2世 (オーストリア公) フリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯) フリードリヒ2世 (プロイセン王) - フリードリヒ大王 フリードリヒ2世 (ヘッセン=カッセル方伯) フリードリヒ2世 (バーデン大公) フリードリヒ2世 (マイセン辺境伯) フリードリヒ2世 (プファルツ選帝侯) フリードリヒ2世 (アンハルト公) フリードリヒ2世 (ニュルンベルク城伯) フリードリヒ2世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公) フリードリヒ2世 (ザクセン選帝侯) フリードリヒ2世 (ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公) フリードリヒ2世 (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)。

フリードリヒにせいFriedrichII [生]1194.12.26.イェジー[没]1250.12.13.アプリアホーエンシュタウフェン朝のドイツ王(在位1212~50),神聖ローマ皇帝(在位20~50)。ハインリヒ6世とシチリア王女コンスタンスとの子。フェデリーコ1世として1198年シチリア王となり,1212年末マインツでドイツ王に戴冠。即位直前,ドイツ皇帝位をめぐって対立皇帝が出現し,政局は紊乱したが,彼はこれらの勢力を破って帝位を獲得した。十字軍にも出征し(28~29),エルサレムにも入城している。しかしイタリア生れの彼は,主としてイタリア,特にシチリアに関心を向け,ここに当時のヨーロッパでも類を見ない近代的な官僚制国家をつくり上げたが,その反面ドイツの統治をおろそかにし,在世中ドイツに滞在したのは10年にも満たなかった。1220年に教会諸侯に対し,教会領に国王が干渉しないことを約束する特権状(教会諸侯との協約)を与え,次いで31年世俗諸侯に領内の最高裁判権と貨幣鋳造権を認めた特権状(→諸侯の利益のための協定)を発した。これはドイツ諸侯の事実上の独立を合法化したことにほかならず,領邦国家の発達はこれによって大いに促進された。彼のイタリア政策はローマ教皇との対立を生み,27,39,45年と3度教皇から破門され,45年には廃位され,ドイツ帝権は著しく弱体化した。没後に大空位時代を招来した。 (引用元 コトバンク)