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真田信尹(さなだのぶただ)

戦国武将[日本]

(寛永9年5月4日没)

1632年 6月21日 死去享年86歳

真田 信尹(さなだ のぶただ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。
真田幸綱(幸隆)の四男。
後に松代藩となる大名・真田家とは別に分家である旗本真田家を興した。
生年に関しては異説もある。
昌幸と同年に生まれたとする説もあり、同じ母の出生のため双子の可能性もある。
生涯 武田家家臣・真田幸綱(幸隆)の四男として誕生。
幼名は源次郎。
同母兄に信綱、昌輝、昌幸がいる。
昌幸と同じく幼年期から人質として甲府に出仕した。
主君の武田信玄の命により甲斐の旧族である加津野昌世の養子となり、名門・加津野氏(和野、鹿角)の名跡を継ぐ。
隠岐守の官途を自称し、武田勝頼に近侍して槍奉行を務め、加津野市右衛門尉信昌と称した。
武田家では騎馬15、足軽10を率いる槍奉行としての地位にあったと「信玄代惣人数書上」『甲陽軍鑑』にはある。
元亀2年(1571年)1月、武田信玄が北条綱成の守る駿河深沢城を陥落させているが、これは信伊の武功によるところが大きかったと伝えられ、この際に綱成の「黄八幡」の旗指物を奪い取ったという。

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