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青田昇 氏(あおたのぼる)

プロ野球選手、解説者[日本]

1997年 11月4日 死去肺がん享年74歳

青田昇 - ウィキペディアより引用

青田 昇(あおた のぼる、1924年11月22日 - 1997年11月4日)は、兵庫県三木市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
五女は元女優・元タレントの青田浩子、六女は元グラビアアイドルの青田恵子。
1940年代から1950年代にかけてのNPBを代表する長距離打者。
1942年に瀧川中を中退して巨人に入団すると秋季リーグで新人ながら打率.389で首位打者を、翌1943年は42打点で打点王を獲得。
戦後は阪急に在籍するが、1948年に巨人に復帰すると、打率.306、25本塁打で二冠王となる。
1951年にも32本塁打、105打点で再び二冠王に輝き、巨人の二リーグ分立後初優勝に貢献した。
1953年洋松(のち大洋)に移籍後も3度の本塁打王に輝くなど、通算5回の本塁打王のタイトルを獲得。
豪快な打撃と好守備でジャジャ馬と呼ばれ人気を集めた。
通算265本塁打は当時のNPB記録。
引退後は阪神・阪急でヘッドコーチを務めて両チームを優勝に導き優勝請負人との異名を取る。
のち、大洋でコーチ・監督を歴任。
1979年オフに巨人に26年ぶりに復帰すると、監督の長島茂雄とともに地獄の伊東キャンプを張って巨人の若手選手を鍛え上げるが、翌春に舌禍により辞任。
その後は、野球解説者として人気を博した。
2009年野球殿堂入り。

関連作品

青田昇さんが亡くなってから、26年と146日が経ちました。(9643日)