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グレゴリウス16世Gregorio XVI

ローマ教皇[イタリア]

1846年 6月1日 死去享年82歳

グレゴリウス16世 - ウィキペディアより引用

『グレゴリウス16世 (ローマ教皇)』より : グレゴリウス16世(Papa Gregorio XVI, 1765年9月18日 - 1846年6月1日)は、ローマ教皇(在位1831年2月2日-1846年6月1日)、カトリック教会の司祭。
本名、バルトロメオ・アルベルト・カッペラーリ(Bartolomeo Alberto Cappellari)。
彼は高まるイタリア独立運動とそれに期待する世論を読みきれず、教会と世俗国家との間の溝を広げることになった。
選出時に司教でなかった教皇として、また現教皇フランシスコ(イエズス会出身)以前では修道会司祭出身として、最後の教皇である。
生涯 1765年ヴェネツィア共和国のベッルーノ(現在のイタリア)で生まれたカッペラーリは長じてカマルドリ会に入った。
若くして秀才の誉れ高く、その学才によって修道会内外に名を知られる存在であった。
1799年にはジャンセニスムを糾弾する著作を著し、イタリアのみならずヨーロッパ諸国でも出版された。
1800年にはできたばかりのカトリックアカデミーの会員に選ばれている。
カマルドリ会副総長、布教省長官などを経て1825年3月に枢機卿に任ぜられ、レオ12世の元で教皇庁の外交職に従事した。

グレゴリウスじゅうろくせいGregoriusXVI [生]1765.9.18.ベルノ[没]1846.6.1.ローマイタリア人教皇(在位1831~46)。カマルドリ会士。本名BartolomeoAlbertoCappellari。1787年司祭,神学教授。1814年総会長。25年枢機卿。在任中教皇領内の反乱に悩まされ,イタリアの民族主義運動をオーストリア軍の力に頼って弾圧した。自由主義的な時代潮流を退けて,修道会や聖職者の改革,布教に尽力。1799年の『教皇庁の勝利』IltrionfodellaSantaSedecontrogliassaltideinovatoriでは教皇不謬性論を展開。芸術や学問を保護し,聖パウロ大聖堂再興に尽力。フランスにおけるベネディクト会,ドミニコ会を復活させた。 (引用元 コトバンク)