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大角岑生(おおすみみねお)

海軍大将、男爵[日本]

1941年 2月5日 死去墜落享年66歳

大角岑生 - ウィキペディアより引用
大角 岑生(おおすみ みねお、明治9年(1876年)5月1日 - 昭和16年(1941年)2月5日)は、大正〜昭和期の日本の海軍軍人、政治家、華族。
海軍大将。
男爵。
愛知県出身で本籍は高知県。
愛知県三宅村(現稲沢市平和町)に生まれる。
幼名は親一。
愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)より攻玉社を経て海軍兵学校に入校。
明治30年(1897年)24期を3位の成績で卒業。
同期の次席は山本英輔大将。
「比叡」での遠洋航海を終えて「厳島」・「八島」・「千代田」・「吾妻」に乗組。
中尉に進級してから「天龍」・横須賀海兵団・「浅間」で分隊長を歴任した。
明治35年(1902年)1月に「済遠」航海長に任じられ、日露戦争を迎えた。
開戦3か月目の明治37年(1904年)5月に「松島」航海長に転任するが、その直前の第3次旅順口閉塞作戦に際し、「釜山丸」の沈船命令を受ける。
しかし出撃した「釜山丸」はエンジンが故障し、船団から脱落した。
初志貫徹を叫ぶ乗組員を説得し、大角は「釜山丸」を引き返させ、適切な判断と後に評価された。