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麻田剛立(あさだごうりゅう)

文学者[日本]

(寛政11年5月22日没)

1799年 6月25日 死去享年66歳

麻田 剛立(あさだ ごうりゅう、享保19年2月6日(1734年3月10日) - 寛政11年5月22日(1799年6月25日))は、江戸時代の日本の男性天文学者である。
豊後国杵築藩(現在の大分県杵築市)出身。
元々は綾部(あやべ)姓であったという。
幼名は庄吉良で、名は妥彰(やすあき)。
初め璋菴(しょうあん、表記は「正庵」とも)、後に剛立と号した。
幼い頃に影の動きから太陽が動いているのに気づき、天体に興味を持つ。
その後『傷寒論』などを読み、独学で天文学・医学を学んだ。
またケプラーの第3法則を独自に発見し、自著『五星距地之奇法』に記している。
既にケプラーの法則については漢籍によって日本にも伝来している時代であり、後述の通り後年にそのケプラーの法則を使っての研究もしている事から、この麻田の独創については疑問視する意見もある。
ただ、麻田は惑星の軌道を円と考えて「惑星の公転周期の2乗が軌道の半径の3乗に比例する」としており、つまりこの時点でケプラーの第1法則を知らなかったため、事実誤認が含まれているとはいえ、麻田の独創性については間違いは無い。

あさだごうりゅう [生]享保19(1734).2.6.杵築[没]寛政11(1799).5.22.大坂江戸時代中期の蘭方医,天文学者。本名綾部妥彰。豊後杵築藩の儒者,綾部安正の次男に生れ,藩医にあげられたが,明和6(1769)年頃に脱藩,姓を麻田と改めて医で生計を立てながら星暦を研究した。漢訳書を介して西洋天文学を学び,観測器を考案してケプラーの第三法則を独創した。門下に高橋至時,間重富,山片蟠桃らがいる。また動物の生体解剖を行い,人体解剖もたびたび観察してその記録を残した。これは三浦梅園の『造物余譚』や中井履軒の『越俎弄筆』となって後世に伝えられた。天文学関係の遺著に『実験録推歩法』『消長求食法』があるが,いずれも未刊であった。 (引用元 コトバンク)

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