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山下奉文(やましたともゆき)

陸軍大将[日本]

1946年 2月23日 死去処刑享年62歳

山下奉文 - ウィキペディアより引用
山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の陸軍軍人。
第二次世界大戦当時の陸軍大将である。
官位は陸軍大将従三位勲一等功三級。
高知県長岡郡大杉村(現大豊町)出身。
兄山下奉表は海軍軍医少将。
高知・海南中学校、広島陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校、陸軍士官学校(18期)、陸軍大学校(28期)卒業後、スイス、ドイツに留学し、帰国後、陸軍省軍事課長、軍事調査部長等を歴任した。
妻は永山元彦少将(騎兵第2旅団長)の長女・久子。
永山少将が佐賀県の出身で、宇都宮太郎・真崎甚三郎・荒木貞夫へとつながる、いわゆる「佐賀の左肩党」の系譜に属したため、女婿である山下も皇道派として目されるようになった。
二・二六事件では皇道派の幹部として決起部隊に理解を示すような行動をした。
山下は決起部隊の一部の将校が所属していた歩兵第3連隊の連隊長を以前務めていて彼らと面識があり、同調者ではないかと周囲からは見られていた。