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津田仙

農学者[日本]

1908年 4月24日 死去脳出血享年72歳

津田仙 - ウィキペディアより引用

津田仙(つだ せん、天保8年7月6日(1837年8月6日) - 明治41年(1908年)4月24日)は、日本の農学者、キリスト者。
学農社創立者。
青山学院大学・筑波大学附属盲学校の創立に関わる。
また、日本で最初に通信販売を行った人物でもある。
同志社大学の創始者新島襄、人間の自由と平等を説いた東京帝国大学教授の中村正直とともに、“キリスト教界の三傑”とうたわれた。
明六社会員。
娘に、後に津田塾大学創設者となる津田梅子、サンフランシスコで日本語新聞「日米新聞」を発行し日系人社会のリーダー的存在だった安孫子久太郎と結婚しアメリカに移住した安孫子余奈子がいる。
佐倉城内に生まれる。
父は下総国佐倉藩、堀田氏の家臣小島良親(善右衛門)3男に生まれる。
幼名は千弥。
嘉永4年(1851年)、元服して桜井家の養子となる。
文久元年(1861年)に津田家の初子と結婚し婿養子となる。
15歳で佐倉藩藩校、成徳書院(現在の千葉県立佐倉高等学校の前身)で学び、藩主堀田正睦の洋学気風もあり、藩命でオランダ語、英語の他、洋学や砲術を学ぶ。

つだせん [生]天保8(1837).佐倉[没]1908.4.24.横須賀日本における西洋農学の先駆者。佐倉藩士の家に生れ,蕃書調所に学んで慶応3(1867)年渡米,帰国後は築地ホテルに勤めた。1873年ウィーンの万国博覧会に出張,オーストリアの農学者D.ホーイブレンクに農学を学び,翌年帰国して『農業三事』を発表,気筒埋没法,樹枝偃曲法,媒助法の三事法を奨励。人工的に花粉交配を助ける媒助法では「津田縄」という用具をつくって販売した。75年学農社を設立,76年学農社農学校を開校,機関誌『農業雑誌』を発行して西洋農学の導入,普及に努めた。津田梅子はその次女。 (引用元 コトバンク)